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和歌山地方裁判所 昭和38年(わ)42号 判決

被告人 奥光明

昭三・一一・九生 土建業

主文

被告人を禁錮壱年に処する。

理由

一、罪となるべき事実

被告人は、土工十名位を使用する土建業者であるが、後記本件事故発生より約一週間ないし十日前に、和歌山県海草郡下津町の土建業北利組こと北東利夫から、同町山田地先の小川の護岸工事(下津町発注、同町所在株式会社山崎組元請、北東利夫下請け)を下請けして、これに従事していた。

ところで、被告人は、昭和三十七年九月二十二日、北東利夫に対し、工事に必要な砂利をトラツク(大型トラツクの意)一台分、砂を自動三輪車二台分翌朝早々届けてくれるように依頼したが、従来被告人が北東利夫から請け負つた工事の材料調達方法から、右砂利と砂も、北東が同県有田市の島田組に注文し、島田組の者が砂利は大型ダンプカーで、砂は自動三輪車で運んで来るものと予想し、また、右護岸工事現場は国道四十二号線上下津町大字小南一五七番地附近より三輪トラツクも通れない幅約二米の小道を東南へ入つたところ(徒歩約五分)にあり、かつ、附近に適当な置場所もないところから、右砂利と砂は右小道の入口附近の国道上に下ろされるものと予想し、到着次第そこから工事現場まで手押しの一輪車で運ぶつもりをしていた。そして、被告人は、翌二十三日午前十一時頃、注文した砂利と砂が来ていないかと右入口西側の国道上に置かれているのを見たが、砂利が届いた後一緒に砂も運ぶつもりで、そのまま工事現場に戻り、そこで土工の勝丸太七(当三十七年)と坂尻徳明(当二十年)とに対し、「砂利はまだ来ていないが、あとで見て来てくれよ。来ておれば運んでおいてくれ。」旨言い付け、被告人自身は同町下津高校附近の別の工事現場に行き、夕方までそこで仕事をして、そのまま有田郡広川町大字広一四七番地の自宅に帰つてしまつた。勝丸太七と坂尻徳明とは、午後零時半頃、前記小道の入口附近に砂利が届いているかどうかを見に行つたが、まだ届いていなかつたので、護岸工事現場に戻り、「トラツクの故障か何かで今日はもう届かぬだろう。」と考えて、再度見に来ることもなく、夕刻まで工事現場で仕事をつづけた。その間に、砂利(約四・七立方米)は、前記島田組の前島幸一(当二十八年)が六屯積ダンプカーで運んで来て、前記小道の入口東側の国道上に下ろして、そのまま去つたが、置かれた砂利は幅(国道南端より)約三米、長さ約五米、最高所の高さ約七十ないし八十糎であり(前島幸一は、約三回に分けてトラツクの位置をずらして下ろしたので、大体三つの山のように盛り上がつて置かれた。)、国道(幅員八・五米)の南半分(幅四・二五米)をほとんど閉塞する状況であつた。そして、勝丸太七と坂尻徳明は、同日午後四時三十分頃護岸工事現場からの帰途、右砂利が置かれているのを目撃したが、その時は工事現場での仕事を終え、服を着替えて帰宅する途中であり、あらためて仕事着に着替えて砂利を運ぶことも憶劫であつたので、そのまま帰宅してしまつた。坂尻徳明は、同日午後六時頃、当時止宿していた前記被告人居宅に帰つて来たが、被告人は、砂利のことが気にかかつていたので、坂尻に対し、「砂利は届いたか。」と尋ねたところ、同被は「来ていた。」旨答え、被告人は、坂尻の話によつて、注文にかかる砂利が前記小道の入口附近の国道上に放置されていることを知つた。そして、被告人は、もとより自身で砂利の置かれている状況を目撃したわけではないが、置かれた物件が大型トラツク一車分の砂利であり、経験上知つているダンプカーからの砂利の下ろし方や前記小道の入口附近の国道の地形よりして通行車両の障害となる程度には同国道南側半分を閉塞しているであろうと思つた。また、同所が舗装された国道の直線路であつて、相当の交通量があり、かつ、夜間の照明設備のないことは、かねて被告人の知つていたところであつた。そこで、被告人は、右砂利をそのまま放置するときは夜間の通行車両が砂利に乗り上げて、転倒する等の危険のあることを思い、不安に感じた。さらに、被告人が坂尻から砂利放置の事実を聞知したのは前記のとおり、日暮に近い午後六時頃であり、また、被告人の自宅から砂利の置かれた場所までは、途中自動車で一時間足らずの距離があつた。

このような場合、被告人には、右砂利に対する管理の責任ある者として、注意灯等の用意を整えてみずから現場に急行するまでに日暮となるのであるから、とりあえず即刻自宅附近の最寄りの警察官に砂利放置の事実を通報して警察の手によつて事故防止のための応急措置をとつてもらうよう依頼した上(道路交通法第八三条参照)、直ちにみずからも砂利放置場所に急行し、注意灯を設備する等危険防止のため万全の措置をとり、もつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務がある。

ところが、被告人は、すでに帰宅した後のことであり、下津町の現場に赴くことが憶劫であつたので、右注意義務を尽さず、何らの危険防止措置をとることなく、右砂利をそのまま放置するという重大な過失を犯した。

このため、同日午後九時頃、同国道の中心線南側を西進して来た生駒良治運転、片山太一ほか五名同乗(荷台乗車につき所轄警察署長許可済)の普通貨物自動車和四む四八〇三号が右砂利に乗り上げ右斜めに暴走し、折柄中心線北側を東進中の吉岡英明運転、吉岡愛子ほか一名同乗の普通貨物自動車和四や四六五三号と正面衝突し、よつて、生駒良治(当時三十二年)は即死し、吉岡英明(昭和十五年生)は右大腿骨、左下腿開放性粉砕骨折による大量出血のため同日午後十時三十分和歌山市岡山町九番地瀬藤医院において死亡し、和四む四八〇三号同乗の片山太一(当三十九年)は脳震盪症、顔面後頭部切創、右上肢打撲・折切創、右鎖骨・前膊骨皮下骨折、右肋骨々折(要加療期間約六週間、但し、負傷時の診断による。以下同じ。)、生駒加寿一(当六十四年)は顔面切創、右手関節部切創、右膝蓋部切創、右胸打撲、右肋骨複雑骨折右腰打撲傷(同上約二ヶ月)、宮木義明(当二十年)は右鎖骨皮下骨折、左大腿部打撲傷(同上約一ヶ月)、伊藤吉広(当二十三年)は左大腿挫傷、大腿擦過創(同上約一週間)、島本博行(当十九年)は前額部挫創、頬部挫傷(同上三日間)、竹中一(当二十八年)は左腋窩部擦過創(同上三日間)を、また、和四や四六五三号同乗の吉岡愛子(当三十年)は右下腿放性骨折、左下腿・前胸部・頭部挫創(同上約三ヶ月)、山本夷(当二十五年)は右膝関節血腫(同上約三週間)をそれぞれ受けた。

二、証拠の標目(略)

三、法律の適用

法律に照らすと、被告人の判示各被害者に対する所為はいずれも刑法第二一一条後段、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に該当するところ、一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、刑法第五四条第一項第一〇条第三項により犯情の最も重いと認める判示生駒良治に対する重過失致死罪の刑をもつて処断すべきである。

証拠調の結果によれば、本件砂利が被告人の予期に反して午後になつて運ばれて来たこと、被告人より砂利を片づけるように言いつけられた勝丸、坂尻両名がまことに軽卒にも放置したまま帰つたことが本件事故の遠因と認められ、また、被告人はこれまで前科もなく人並の暮しをして来たもので、突如本件に遭遇し、心中深く後悔していると推察されるのであるが、被告人が坂尻より砂利放置の事実を聞き知つた以上、判示のような注意義務を免れるものではなく、そして、被告人に交通の安全、人身の尊重について今少しの自覚があれば本件事故は防止し得たのであり、これを怠り、そのため、判示のように、青壮年者二名を死に致し、数名に重軽傷を負わせたのであつて、被害者、特に死者の遺族の悲苦はまことに測り知ることのできないものがあるといわなければならない。われわれは、徒らに死者の齢を数えるわけではないけれども、かような原因による同胞人間の死ということ自体に対し、少しく厳粛であるべきではあるまいか。また、被告人の貧困によるにもせよ、かかる遺族等の悲哀を幾分でも柔らげるべき損害賠償の措置もとられていない。

右のほか、本件審理に現れた諸般の情状を考察し、所定刑のうち禁錮刑を選択し、所定の刑期範囲内において被告人を禁錮一年に処することにする。

なお、本件は私選弁護事件であるが、被告人自身は資力を欠くと認められるので、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により、被告人に訴訟費用を負担させない。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 大久保太郎)

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